RTS開発の発端

 
 

 CONTAXは第二次世界大戦後も暫くの間、レンジファインダー式Ua,Va及びM42スクリューマウント一眼レフFM,FB,FBM等を生産していたが、レンジファインダーの需要が落ち、日本国産に次第にシェアを奪われた為、惜しまれつつもカメラ市場から去ることになる。
 1973年の夏のことである。西ドイツのカール・ツァイス財団はボディの自社生産にハッキリと見切りをつけた上での
ブランド再建を目指し、カメラの電子技術の分野で先進技術とノウハウを持つヤシカを、ボディ供給元として最も望ましいパートナーと考え、白羽の矢を立てた。また、ボディデザインには先進の人間工学技術を持つ西ドイツの代表的ブランド、ポルシェグループが担うこととなった。レンズを供給するカール・ツァイスは伝統の光学技術を持つ世界光学界の名門であり、妥協を許さないレンズの品質は、信仰に近いまでのファンを世界中に生んだ。
 翌年のフォトキナ(1974年)に発表展示するということを前提に、国境を越えた3社合同プロジェクトチームは僅か1年というタイムリミットの中で、試作、検討、改良、量産試験を急ピッチで進め、翌年1974年のフォトキナでツァイスレンズ群を揃えた最高級一眼レフ、CONTAX RTSが発表展示され、同時にCONTAXブランドの復活を果たした。ツァイス、ポルシェ、ヤシカの3社のそれぞれのノウハウを惜しみなく出し切った成果である。

 

 

 

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