ハインツ・キュッペンベンダー

( Heinz Kuppenbender:1901- )

 キュップことハインツ・キュッペンベンダー博士はまさにCONTAXブランドの生みの親である。シュトットガルト工科大学で、大型特殊カメラ用回転シャッターに関する論文で学位を習得しており、取締役としての統率力は勿論のこと、機械設計にも類稀な才能を発揮したのであった。
 彼はツァイス・イコン社の新型カメラ開発プロジェクトチームの責任者に任命された。1928年より研究はスタートし、4年後の1932年にコンタックスT型をデビューさせた。このT型の角型スタイルと内部機構は、カメラ市場で先行を許していたライカを意識し、これを超えるために考案された洗礼されたデザインと機構設計で名を轟かせた。特許申請書には1936年2月18日付けで、キュップのサインが記されている。
 第二次世界大戦終結時にはツァイス社の理事に任命され、西ドイツ・オーバーコッヘンに移ってからのツァイス社の再建に敏腕を振るい、Ua、Vaをはじめ、コンタフレックス等のカメラを誕生させた。工業製品として、西ドイツカメラは実に優れており、東ドイツカメラの比ではなかった。
 しかし、この順風満帆に胡座をかいたツァイス・イコンは、この後まもなく、勤勉な日本人の作ったカメラの猛追を受けることとなる。安価で性能の良いカメラを大量生産する日本製カメラは、ドイツのカメラ業界を次第に追い込んでゆく。残念なことにツァイス・イコン社もその例外ではなく、高級カメラであるコンタレックスシリーズで対抗するが、時すでに遅く、さすがのキュップも成す術が無かった。
 ヤシカ提携前年の1972年、キュッペンベンダーはカメラ部門にキッパリと見切りをつけた後、長きに渡って勤めたツァイス役員から退いた。コンタックスブランドを産んだ彼は、なんと皮肉なことに責任者として、自らツァイス・イコンのカメラの歴史に幕を下ろしたのであった。

   

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